北条時行が鎌倉を取り戻した20日間
『逃げ上手の若君』を見ていると、避けて通れない大事件が「中先代の乱(なかせんだいのらん)」です。
名前だけ聞くと、正直かなり分かりにくいですよね。
簡単にいうと中先代の乱とは、1335年、滅亡した鎌倉幕府のトップだった北条氏の生き残り・北条時行が兵を挙げ、足利方を破って鎌倉を取り戻した戦いです。
しかも時行は、ただ反乱を起こしただけではありません。
一度は本当に鎌倉を奪還します。
ところが、その支配はわずか20日ほど。今度は足利尊氏が大軍を率いて東へ向かい、時行は再び鎌倉から追われました。
短期間で終わった戦いなのに、なぜ『逃げ上手の若君』ではこれほど大きく描かれるのでしょうか。
実は中先代の乱は、北条時行の人生だけでなく、その後の足利尊氏と後醍醐天皇の対立、さらには南北朝時代へ向かう流れまで動かした、日本史のかなり重要な分岐点でした。
1.中先代の乱とは?まず30秒でわかりやすく説明
中先代の乱とは、1335年に北条時行が鎌倉幕府再興を目指して起こした戦いです。
まず全体像を整理してみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 中先代の乱 |
| 読み方 | なかせんだいのらん |
| 起きた年 | 1335年(建武2年) |
| 主人公側 | 北条時行・諏訪頼重ら |
| 主な相手 | 足利直義・足利尊氏ら |
| 目的 | 北条氏の再興・鎌倉奪還 |
| 結果 | 一時鎌倉を奪還するが、足利尊氏に敗れる |
| 鎌倉支配 | 約20日ほど |
| 歴史的影響 | 足利尊氏と建武政権の決裂につながる |
鎌倉幕府が滅亡したのが1333年。
つまり北条時行は、そのわずか2年後に「もう一度、北条の鎌倉を取り戻す」と立ち上がったわけです。
『逃げ上手の若君』公式サイトも、1333年に鎌倉幕府が滅亡した後、諏訪頼重に匿われた時行が力を蓄え、1335年に信濃で挙兵した出来事を「中先代の乱」として紹介しています。
なぜ「中先代」という変わった名前なの?
ここが一番引っかかるところです。
「中先代」は、人の名前ではありません。
当時、鎌倉幕府を支配していた北条氏が「先代」と呼ばれ、その後の足利氏の時代との間に一時的に鎌倉を支配した北条時行を「中先代」と呼んだことが名称の由来とされています。
つまりイメージとしては、
北条氏の時代
↓
北条時行が一時復活
↓
足利氏の時代
この「間に挟まった北条政権」が中先代です。
さらに鎌倉を支配できた期間が20日余りだったことから、「二十日先代(はつかせんだい)」という呼び方もあります。
名前からして、ものすごく儚い政権なんです。
2.なぜ北条時行は中先代の乱を起こしたのか?
鎌倉幕府は1333年に滅亡
『逃げ上手の若君』の物語は1333年の鎌倉から始まります。
主人公・北条時行は、鎌倉幕府の実権を握っていた北条得宗家の少年です。
しかし足利尊氏らが幕府側から離反。
新田義貞の鎌倉攻めによって鎌倉幕府は滅亡します。
集英社による『逃げ上手の若君』第1巻の紹介でも、1333年に時行が故郷・家族・立場を失い、信濃国の諏訪頼重のもとで生き延びる物語として説明されています。
つまり時行にとって鎌倉は単なる都市ではありません。
家そのものです。
だから中先代の乱は、「領土を増やしたい武将の戦争」というより、
「失った故郷を取り戻す戦い」
という意味合いが強くなります。
『逃げ上手の若君』で感情移入しやすいのも、この構図がかなり大きいでしょう。
後醍醐天皇の建武政権にも不満がたまっていた
鎌倉幕府が滅んだあと、後醍醐天皇を中心とした建武政権が成立します。
しかし新しい政治体制に対する武士たちの不満も高まっていました。
旧北条勢力も完全に消滅したわけではありません。
信濃に逃れていた時行の周囲には、諏訪頼重をはじめ北条氏と深い関係を持つ勢力が残っていました。
つまり、
「少年・北条時行が突然思いついて反乱を起こした」
という話ではありません。
北条氏復活を望む人々と、新政権に不満を抱く勢力が存在する中で、北条高時の遺児である時行が「旗印」になったわけです。
3.中先代の乱では何が起きた?鎌倉奪還までの流れ
中先代の乱の面白いところは、とにかく展開が速いことです。
1335年、信濃で北条時行が挙兵
1335年7月、北条時行は信濃で挙兵します。
そして南下しながら勢力を拡大。
武蔵国では女影原、小手指原、府中などで足利方を破り、鎌倉へ迫りました。
『逃げ上手の若君』でも、この進軍が大きな戦争編として描かれています。
集英社公式のコミックス紹介では、第8巻で鎌倉奪還へ向けた挙兵が描かれ、第9~10巻では女影原をはじめ足利方との戦いが続き、第11巻ではついに鎌倉奪還をかけて足利直義と直接対峙します。
足利直義を破って鎌倉を奪還
当時鎌倉を守っていたのは、足利尊氏の弟・足利直義です。
時行軍はその直義軍を破り、ついに鎌倉へ入りました。
これはかなり驚くべき出来事です。
1333年に滅びた北条氏が、わずか2年後に再び鎌倉へ帰ってきたのです。
『逃げ上手の若君』を知らず歴史の結果だけを見ると「結局負けた反乱」に見えます。
しかし途中までを見ると、
北条時行、普通にめちゃくちゃ勝っています。
だからこそ物語としても盛り上がるわけです。
ところが足利尊氏が自らやってくる
弟・直義が敗れたことを知った足利尊氏は、京都から東へ向かいます。
ここから状況が一変します。
尊氏軍は時行軍を次々と破り、鎌倉を奪還。
時行による鎌倉支配は20日余りで終わりました。
| 流れ | 出来事 |
|---|---|
| 1333年 | 鎌倉幕府滅亡 |
| 1335年7月 | 北条時行が信濃で挙兵 |
| 1335年7月~8月 | 武蔵方面で足利軍を撃破 |
| 1335年 | 足利直義を破り鎌倉へ |
| 約20日後 | 足利尊氏軍が鎌倉を奪還 |
| その後 | 時行は再び逃亡 |
ここで『逃げ上手の若君』らしさが出てきます。
普通の英雄物語なら「鎌倉を奪還して終わり」です。
ところが北条時行の史実は、
取り返す
↓
負ける
↓
逃げる
↓
また生き残る
なんです。
勝ち続ける英雄ではなく、「負けても歴史から消えない人物」。
だから「逃げる才能」を主人公の武器にした作品との相性が異常にいいんですね。
4.なぜ中先代の乱は日本史でも重要なのか?
中先代の乱は北条時行が負けたことで終わります。
ところが歴史全体で見ると、ここからが本番です。
足利尊氏と後醍醐天皇の関係が崩れていく
中先代の乱を鎮圧した尊氏は、そのまま鎌倉にとどまります。
後醍醐天皇の建武政権は尊氏に京都へ戻るよう求めますが、尊氏は従いません。
ここから両者の対立が本格化。
尊氏は後醍醐天皇側と戦うことになります。
鹿児島県の南北朝時代に関する解説でも、中先代の乱を鎮圧するため鎌倉へ向かった尊氏が、その後鎌倉にとどまり建武政権から離脱したことが、南北朝の動乱につながったと説明されています。
つまり、
北条時行
↓
中先代の乱を起こす
↓
足利尊氏が鎌倉へ出兵
↓
尊氏が京都へ帰らない
↓
後醍醐天皇と対立
↓
南北朝の争いへ
という流れが生まれます。
少し大げさに見えるかもしれませんが、
「時行が挙兵したことで歴史の巨大な歯車が動いた」
とは十分に言える事件です。
「負けた北条時行」が歴史を動かしている
ここが中先代の乱で一番面白いところでしょう。
北条時行は最終的な勝者ではありません。
室町幕府を作ったのは足利尊氏です。
学校の日本史でも、
「足利尊氏」
「後醍醐天皇」
「建武の新政」
「南北朝」
に比べると北条時行はかなり目立ちません。
ところが歴史を細かく見ていくと、その足利尊氏が建武政権から離れていく大きなきっかけの一つが中先代の乱なのです。
だから『逃げ上手の若君』は、歴史の脇役を無理やり主人公にした作品ではありません。
「教科書では数行で終わるけれど、掘るととんでもなく面白い人物」を真正面から主人公にしています。
ここが作品の強さだと思います。
5.『逃げ上手の若君』を見るなら史実と創作は分けて楽しみたい
『逃げ上手の若君』は北条時行という実在人物と実際の歴史をベースにした作品です。
北条時行、諏訪頼重、足利尊氏、足利直義、小笠原貞宗など、史実に登場する人物が多数登場します。
中先代の乱そのものも実際に起きた事件です。
一方で、漫画として面白くするためのキャラクター表現や能力、会話、戦闘演出などには当然フィクションが含まれています。
この2つをごちゃ混ぜにしないのが大切です。
| 要素 | 史実か |
|---|---|
| 北条時行という人物 | 実在 |
| 諏訪頼重 | 実在 |
| 足利尊氏・直義 | 実在 |
| 1335年の中先代の乱 | 史実 |
| 北条時行による鎌倉奪還 | 史実 |
| 約20日で鎌倉を失う | 史料・辞典でも確認できる |
| キャラクターの性格・能力・会話 | 漫画としての創作を含む |
| 個々の戦闘演出 | 創作・脚色を含む |
ただ、史実を知ってしまうと作品がつまらなくなるかというと、むしろ逆です。
「この人、本当に鎌倉を取り返したの?」
「尊氏がここから後醍醐天皇と敵対するの?」
「負けたあと時行はどうなるの?」
と、史実そのものが次の展開への興味につながります。
しかも時行は中先代の乱で終わりません。
敗北後も生き延び、のちにはかつて北条氏を滅ぼした後醍醐天皇側、つまり南朝に加わって足利氏と戦うという、かなり複雑な人生を歩んでいます。最終的には1353年に捕らえられ、鎌倉の龍ノ口で処刑されたとされています。
敵だった側と手を組んで、もっと大きな敵と戦う。
少年漫画の設定みたいですが、これが史実なのだから南北朝時代はややこしくて面白いんです。
総集録
中先代の乱とは、1335年、鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の子である北条時行が、諏訪頼重らとともに北条氏再興を目指して起こした戦いです。
信濃から進軍した時行軍は足利方を次々と破り、足利直義を鎌倉から追い出すことに成功。
滅亡からわずか2年で北条氏は鎌倉へ帰ってきました。
ただし、その時間は約20日。
京都から東下してきた足利尊氏に敗れ、時行は再び逃亡します。
一見すると「北条氏の復活に失敗した反乱」です。
しかし、この戦いをきっかけとして足利尊氏は鎌倉にとどまり、後醍醐天皇の建武政権との対立を深めていきます。
その先にあるのが、室町幕府の成立と南北朝時代です。
つまり中先代の乱は、
「北条時行が鎌倉を取り戻そうとした戦い」
であると同時に、
「足利尊氏が新しい時代へ動き始めるきっかけになった戦い」
でもあります。
『逃げ上手の若君』で中先代の乱が大きな山場として描かれる理由も、ここを知るとかなり分かりやすくなります。
逃げ続けてきた少年が、ついに自分の名前を歴史に刻む。
しかもその勝利が、別の巨大な歴史まで動かしてしまう。
北条時行、教科書では地味ですが、人生は全然地味ではありません。
よくある質問Q&A
Q1.中先代の乱は実話ですか?
はい。
1335年に北条時行が信濃で挙兵し、足利直義を破って鎌倉を一時占領したのは史実です。
『逃げ上手の若君』は、この史実をベースに物語を展開しています。
Q2.なぜ「中先代」という名前なのですか?
鎌倉幕府を支配した北条氏を「先代」とし、その後に続く足利氏の時代との間に一時鎌倉を支配した北条時行を「中先代」と呼んだことが由来です。
Q3.北条時行は本当に鎌倉を取り返したのですか?
はい。
時行軍は足利直義を破り、一時的ながら鎌倉を占領しています。
ただし足利尊氏が東下すると敗北し、鎌倉支配は20日余りで終了しました。
Q4.『逃げ上手の若君』では何巻あたりから中先代の乱が描かれますか?
集英社公式の紹介では、第8巻で鎌倉奪還に向けた挙兵が本格化し、第9~11巻にかけて足利方との戦いと鎌倉奪還へ向かう展開が描かれています。
Q5.中先代の乱のあと北条時行はどうなったのですか?
時行は戦死せず、再び逃げ延びます。
その後は後醍醐天皇側の南朝に加わり、足利氏と戦いました。
最終的には1353年に捕らえられ、鎌倉の龍ノ口で処刑されたとされています。
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